『グレイシー・アレン殺人事件』S・S・ヴァン=ダイン【感想】二兎を追うもの面白くならず

The Gracie Allen Murder Case

1938年発表 ファイロ・ヴァンス11 井上勇訳 創元推理文庫発行

前作『誘拐殺人事件

次作『ウィンター殺人事件』

f:id:tsurezurenarumama:20221017220436j:image

 

 

ついに残るはあと1冊となったファイロ・ヴァンスシリーズ。

シリーズのお約束、英語6文字+Merder Caseさえ忘れ去られた番外編のような作品。それもそのはずで、本作はタイトルと同名の実在するコメディエンヌ、グレイシー・アレン(1895-1964)をモデルに映画用に書き下ろした作品だったのだ。

グレイシー・アレンについては、調べてみたところフレッド・アステアエレノア・パウエルといった稀代の名優たちと共演するなど、「知る人ぞ知る」人物ではなく時代を代表する女優だったようだ。

en.wikipedia.org

"Honolulu" ~ Gracie Allen, MGM, Old Hawaii Song/Dance! - YouTube

 

松野明美氏を彷彿とさせる小柄で特徴的な声と豊かな表情が特徴で、彼女を見ていると自然に笑みがこぼれるような、好人物だ。

本作の評価は、ヴァン・ダイン後期の作品群と同様芳しくないが、もし実在の彼女の個性が本作に十分反映されていたとしたら、本作の評価はガラリと変わっていたに違いないと思う。クールなファイロ・ヴァンスと天真爛漫な少女グレイシー・アレンという対比はなかなか面白そうに思えるのだが……

 

それでは推理小説としての本作の感想を。

本作を構成する要素はよくできている。

ギャングのボスで正体不明の《ふくろう》と脱獄囚で復讐に燃える《はげ鷹ベニー》、そして悪党どもが集うのは怪しげな《カフェ・ダムダニエル》を中心に物語は展開する。数奇なめぐりあわせで出会ったグレイシー・アレンとヴァンスは、ダムダニエルで親交を深めるが、折も折、事件が発生する。

 

被害者と事件自体を巡る謎もそこだけを切り取ってみれば魅力的だ。被害者はなぜ現場にいたのか、なぜ殺されたのか、ミステリらしいトリックは使われているし、言葉遊び程度だが読者の盲点を突く仕掛けも用意されている。

カフェ・ダムダニエルの歌手デル・マールの悪女めいたキャラクターも怪しげで良い。グレイシー・アレンが働くのが香水工場ということもあって、香りという手がかりも用意されている。シャーロック・ホームズでいうモリアーティ教授のような巨悪と探偵の直接対決もある。

 

それでも、本作が面白くならないのは、それら全ての要素がちぐはぐで噛み合っていないからだ。ここまで嚙み合わないと、どこがどう違っていればよいのかさえ全くわからないが、グレイシー・アレンを素人探偵として活躍させる趣向があったのであれば、少なくともグレイシー・アレンと私(ヴァン・ダイン)を組ませて探偵し、ヴァンスは終盤安楽椅子探偵的なポジションでさらっと解決してしまえばそれでよかったかもしれない。映画製作を取ってグレイシー・アレンを主人公にするプロットと、シリーズに重点を置いてヴァンスに解決させるプロットの二兎を追ってしまった形になったのではないかと思う。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理メモ》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

登場人物のグループは2つに分けられる。ひとつはカフェ・ダムダニエルを中心とした悪党たち。マーシュデル・マール、《ふくろう》、《はげ鷹ベニー》、トファーナ夫妻

もう一つは、グレイシー・アレンを中心とした一般人。アレンアレン夫人ジミージョージ

死んだフィリップはどちらのグループにも属すため、一見すると、カフェ・ダムダニエルで都合の悪いことを見聞きしてしまったため排除されたかのように見える。

この読者の先入観を終盤まで維持させるために、作者はアレン夫人(フィリップの母親)を使って、一世一代の大芝居をうたせた。フィリップが警察から逃げていたという理由で、死体が息子だと思わせた仕掛けは、正直よくできていると思う。その事実を娘(グレイシー)に告げないよう約束させることで、終盤までこの事実を隠したのも巧い。

まあ、探偵役が死体を誤認するというプロットと、被害者(偽)の関係者であるグレイシーが素人探偵を務めるというプロットが全く相性が良くないのがダメなところ。あとはこの死体誤認のネタがばれてしまった時点で、前述の二つ目のグループの人間たちが嫌疑から外されてしまうのももったいない。香水会社とカフェ・ダムダニエルが不正取引で通じていたとかにすれば、もう少しミスディレクションで引っ張れたのかもしれない。香水会社の人間の誰かと《はげ鷹ベニー》が双子で入れ替わっていた、とかでもいい(暴論)

 

死体がフィリップではなくベニーだとわかった時点で犯人は、三択になる。デル・マールかマーシュか《ふくろう》

ただ、ベニーが死んだのが別の場所で、それを動かしてマーシュに復讐を企てたデル・マールという一捻りもなかなかうまい。ここではトファーナ夫妻という空気みたいな存在が邪魔をしている。

 

とにかく面白いところと面白くないところが相殺しあって完全に何も残らないのがすごいところ。いや、ちょっとばかり愚痴をこぼしたくなる部分の方が多いので、逆にちゃんと印象に残るのがなんか悔しい。

 

    ネタバレ終わり

 

 

さあ最後は『ウィンター殺人事件』

なんとなく今年は読まなさそうなので、来年になりそうな予感。

では!

 

 

『奇妙な花嫁』E.S.ガードナー【感想】今のところ全作ハズレなし

The Case of the Curious Bride

1934年発表 弁護士ペリー・メイスン5 宇野利泰訳 新潮文庫発行

 

前作『吠える犬

次作?『義眼殺人事件』

f:id:tsurezurenarumama:20221001204601j:image

 

まずは前作の感想でも言ったのだが、ペリー・メイスンもののお約束である次回予告がなかった件(本作の中身とは少し違う話)。

そもそも前作の最終ページの脚注には

このあとの半ページほどの文章は、本文庫(創元推理文庫)既刊「義眼殺人事件」の末尾とまったくの同文で、次作「奇妙な花嫁」の予告になっている。したがって、重複をさける意味から本編では省略した。

とある。この時はよく理解しようともしていなかったので、勝手に省略しやがって!とプンプンしていたのだが、よく読んでみるとわかる(あたりまえ)。

「吠える犬」の次回予告と創元推理文庫発行の「義眼殺人事件」の次回予告は全くの同文、つまりどっちも「奇妙な花嫁」の予告なのだ(そのとおり)。いやいや、じゃあ「奇妙な花嫁」の最終ページにあるであろう次回予告はどうなっているのか。というか、「吠える犬」も「義眼殺人事件」もどっちも次の作品が「奇妙な花嫁」ってどういうこと?

 

答えからいうと、というかドロシイ・B・ヒューズによる『E・S・ガードナー伝』によれば、初期のペリー・メイスンものの執筆および刊行の順は、執筆作業の難航や、出版社の販売戦略などによってかなり前後したらしい。

たとえば、『幸運の脚(の娘)』では、作者ははじめて”生みの苦しみを味わった”とされているし、そのせいで『怒りっぽい女(すねた娘)』が先に出版された。また『吠える犬』の連載契約の交渉が長引いたので、やっぱり先に『幸運の脚』が出版されたようだ。

Twitterでもフォロワーの方からご指摘があったとおり、原書の版(実際の出版時期と執筆時期の差)によって次回予告の記載内容には多少の前後があったようだ。

 

ちなみに手元にある版違いの義眼殺人事件によると、たしかに創元推理文庫版は、次回が本作『奇妙な花嫁』だが、角川文庫版は『管理人の飼猫』になっている。

ようするに、まああんまり深く考えない方がいいのかもしれない。

本書は、作者をして『これまでに書いたどのメイスンものよりも四割がた良いもの』とのことだから、安心して読むのがいい。

あ、ちなみに今回読んだ新潮文庫発行の『奇妙な花嫁』には、次回予告が……

ない。なんでだ(またか)

 

 

 

 

本書感想

まず「わたしのお友達の話なんですけどぉ~」なんていかにも怪しげな女性の依頼に、メイスンは全てを見通す慧眼をもって、悠長に依頼に耳を傾ける。いつもの高圧的な態度を曲げてまで、依頼を受けようとするメイスンのキャラ変には驚かされるが、何も理由がなくメイスンは行動しない。彼は何かを感じ取っていたのだろう。

案の定、依頼人を尾行する怪しげな人物が登場し、メイスンは自ら依頼人を調べ始める。

次第に浮かび上がるのは、シカゴの大富豪と彼の息子と結婚した過去のある花嫁。

 

事件の性質はいつも通り依頼人を窮地に追い込むもの。状況証拠・物的証拠ともに依頼人が疑わしく、絶体絶命の大ピンチに思える。

シリーズの醍醐味だが、窮地に陥る(未来が見える)人間に対して、それを食い物にしようとする大物という構図の時、メイスンの闘志は激しく燃える。

 

前述のとおり、すべてが依頼人を指し示す状況にもかかわらずメイスンの思考は冷静そのもの。街の印刷屋、タクシー運転手、電気屋など様々な労働者階級の人間と交流しながら、誰も予想だにしない角度から攻撃を始める。

その攻撃の効果が出始めるのは、やはりライバルの検事ルーカスとの直接対決が行われる法廷。陪審員の心証操作の観点からいえば、間違いなく真っ黒の手法で、法のスペシャリストである裁判長や検事さえも見抜けない奇想天外な方法で、容疑者の無実を少しずつ手繰り寄せてゆく。

 

メイスンのすごいところは、依頼人の無実を証明する/事件をただ解決するのが目的でないところ。彼の思考は常にその先に、(善人ならば)依頼人に幸福をもたらすこと、最善の航路で人生の歩みをすすめる助け舟を出すことだ。

謎の提示から奇抜な解決方法、そして物語の立派なオチ、そしてそれらの流れるようなスムーズな展開が、安定の面白さを生み出している。毎回思うが、絶対新訳か復刊すれば絶対に売れるのではないか。法そのものが洗練され新しくなっている手前、メイスンの手法は旧式になってしまっていて、現代には通用しないのかもしれない。でも、メイスンものの面白さ事態は全く損なわれていないと思うのだが。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

真相は意外にシンプルで、ローダは実際にモクスリイに暴行を加えていた。それを尾行によって見ていた、夫のカールがとどめをさしたのだ。最初から正直に証言していれば正当防衛で済んでいたことかもしれないが、カールの内面の弱さは愛するはずの妻に罪をなすりつけることにしか結びつかなかった。

このシンプルな構図を、殺害現場で鳴ったベルという何気ない証拠を用いて、無罪判決までもっていくメイスンの剛腕がとにかくすごい。やっていることはかなりグレーよりの黒なのだが、事件現場を実際に貸借したり、証人には偽証ではなく、事実を証言させる絶妙なタイミングを操作することで、効果的な印象を残させるなど、法廷家としての技能が駆使されている。

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

 

メイスンものはいつもある程度同じストーリーになるらしい。変わった依頼人が来て、依頼人が窮地に陥って、メイスンが才気煥発ぶりを披露し、奇想天外な方法で依頼人を救う。悔しがるルーカス検事と笑う裁判長。イチャイチャするデラとメイスン。ニヤニヤするポール・ドレイク。

なのに、毎回新鮮で驚かされる。今のところ全作ハズレなし。

自信をもってオススメできる。

では!

やっぱり早川文庫のものも欲しいな。

『かくして殺人へ』ジョン・ディクスン・カー【感想】ド直球のラブコメがど真ん中に直撃

And So to Murder

1940年発表 ヘンリ・メリヴェール卿 白須清美訳 創元推理文庫発行

 

前作『読者よ欺かるるなかれ

次作『九人と死で十人だ』

 

登場人物たちが演じる役柄とその関係性が話のミソでもあるので、あらすじは省略しますが、ド直球のラブコメなので、めちゃくちゃ楽しいです。しかも、灯火管制が敷かれる第二次世界大戦下の物語なので、敵襲の恐怖やスパイ風の味付けもほのかにあって、朗らかなラブコメの中に、どこか暗くて不安をあおる空気も漂っているのが特徴です。

 

前作『読者よ欺かるるなかれ』が、欺かれた驚きと腹立ちの半分半分、というすごいようなすごくないような、あやふやな作品だったので、ちょっと心配でしたがなんのその。きれいにまとめられた登場人物と映画撮影所という閉じられた空間で起こる怪事件、カーの作品の中ではハズレなしと謳われる(てきとー)消えた撮影フィルムを巡るスパイ要素、それらが完全に一体となっています。唯一の欠点はスケールの小ささ、でしょうか。こちらも興を削いでしまうおそれがあるので、多くは語れませんが、怪事件自体の陰惨さ、卑劣さから考えると、頭の狂った犯人が期待されますが、映画撮影所が舞台とはいえそこは英国。ハリウッドのような、スケール感の大きい派手な演出があるわけでもなく、抑圧された怒りとか憎しみといった感情が滲み出るかのような、独特の暗さ/恐ろしさが漂っています。特に、脳裏にしっかりとうす暗い撮影所やセットが映像として浮かぶような、情景描写がそれを冗長させています。灯火管制(戦時下において照明の使用を制限すること)の影響もあって、真っ暗な部屋に蝋燭や煙草の火明かりひとつがポウっと点っているかのような、スリリングでありながらも落ち着いた雰囲気が、これぞ英国ミステリという感じがします。

 

なんか、雰囲気のことばっか言ってるのでミステリについても少し。

原題And So to Murderはそのまま、『そして殺人へ』という意味です。このタイトルを念頭に置いてあらためて本書を読むと(安心してくださいネタばれはありません)、もちろんタイトルに込められた作者の意図がわかるのですが、それ以上に、絶対に(ここは絶対に)最終盤まで読み進めないと本書の旨味がわからないようになっているのはシンプルにすごいと思います。ミステリとしてすごいというのではなく、カーという作家の豪胆さというか、自信満々のその姿勢に驚かされます。逆に『殺人』というお強いワードを使っていること自体、ひとつの仕掛けになっているような気がしないでもないような……。兎に角、最終盤の大きな展開まで、(あえて言うならば)ハイライトもなく、カーお得意の(あえて言うならば)首をかしげるようなトリックも登場しないのにもかかわらず、物語をひっぱる強いストーリーテリングと、前述の本書の旨味だけで、本書を読む価値はあるというもの。

これもカーによくありがちですが、いくつか王道のミステリを読んだうえで読むと「みんな違ってみんないい」が味わえるのでお勧めです。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

ど真ん中を流れるラブコメ要素はいったんミステリからははずしておく。

メインの登場人物は、プロデューサーのハケット、監督のフィスク、助監督のガーゲルン、彼の妻でスター女優のフルーア、そして脚本家のティリー

まあティリーは最初の事件の時に現場にはいなかったので主犯ではない。

 

一番最初に思い浮かんだのは、不道徳(だとされる)モニカの作品の主役をフルーアにさせたくない、という動機。この動機なら、助監督で彼女の夫であるガーゲルンが疑わしい。

第一、第二の事件ともにアリバイはないし、第二の事件に至っては実際につかまっている。

しかもH・M自らガーゲルン犯人説を一蹴してしまった。実はカートライトを狙っていたフルーア、というのも思いついたが、伏線がこれっぽっちもない。

う~ん。

 

真っ向から、モニカを狙った犯罪だとしたら、モニカの気を引こうとするカートライトが犯人でもよいが、彼には鉄壁のアリバイがある。やはり、モニカを煙幕にした第三の事件=ディリー殺害が目的か。

ただ、ティリーを殺す動機が見つからない。

降参。

 

真相

クルト・フォン・ガーゲルン

(目的は妻であるティリー・パーソンズの殺害。ガーゲルンはティリーとの結婚を隠し、フルーアと結婚したため、重婚がバレる前にティリーを殺そうとした。モニカは煙幕。ティリー殺害未遂トリックは……何度読み返しても、フェアかどうかが疑問符がつく)

 

H・M卿のガーゲルン犯人説の消去がちょっとモヤモヤするが、動機の提示方法は巧い(頁31)。とはいえ、最初っから怪しいと気づくはずもなく(そもそも怪しい記述ですらない)、正々堂々としたミステリからは程遠い。見方をガラッと変えて、Whose(誰の殺人か)に注目してみると、ティリー・パーソンズが殺されそうになった瞬間を”解決編”と捉え、改めて読み返すこともでき、もう少し読みごたえは増えそう(するかどうかは別の話)。

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

カーといえば「やりすぎ」が個人的なキーワードなのですが、今回は、最後の最後まで徹底的に「やりすぎ」ているのが、めちゃくちゃ好感が持てます。コメディタッチな雰囲気も含めて心に優しいミステリなので、ドギツいミステリはちょっと…という気分の夜にお勧めです。

では!

 

『検察側の証人(戯曲)』アガサ・クリスティ【感想】最上級の欺しをあなたに

1953年初演 アガサ・クリスティ原作 早川書房発行

 

本作は、1933年にアガサ・クリスティが刊行した短編集『死の猟犬』に収録された短編小説を戯曲化した作品。1953年にロンドンで初演されて以降、映画化や舞台化など様々な形で長年にわたって、題材にとりあげられ続ける傑作サスペンス・ミステリになっている。つい昨年もジャニーズの人気アイドルが主演で舞台化されたし、BBC制作のドラマが発表されたのもここ数年の話。一見すると単純そうな構図の中に組み込まれた、二転三転する人間ドラマと、登場人物たちが織り成す緊迫した法廷劇というシンプルな構造がばちっとはまった完璧な一作だ。

 

以下あらすじ

金持ちのオールドミス(老嬢)が殺された。疑いをかけられたのは彼女と親しくしていた青年レナード。証言には疑わしいところはないが、状況証拠だけはどんどんと固まっていき……。弁護側の切り札は、レナードの妻ローマインのアリバイ証言だったが、検察側の証人として登場する彼女の証言に弁護側は凍り付くことになる。果たして青年の命運やいかに。

 

 

 

登場人物も少なく筋立てもシンプル、とにかくテンポよく話が進むので、戯曲版らしい台詞や舞台描写のクセさえ慣れてしまえば読みやすい。ミステリとしての仕掛けも、事件の背景や動機なんかも一つひとつ切り取ると、いたってオーソドックスで、真新しいものはない。しかし、法廷という、証人ただ一人にスポットライトが当たり、一挙手一投足が見張られ、口から出るすべての言葉の真贋が見定められる極限の舞台で、それぞれの役を演じ切る登場人物たちの人間描写の細やかさと、それを読者/観客に信じ込ませるテクニックが凄まじい。

クリスティが本作について自画自賛するのも頷ける出来である。

 

また、本作の凄いところは、作り手の立場に立った時、ある程度、どのような物語も自由に組み替えれるところ。短編集と戯曲で結末の方向性が変わったように、真犯人ではないほかの登場人物が犯人でも面白いんじゃないか?と思わせる自由度がある。フーダニットに特化するのではなく、本格的な法廷劇にしても面白いかもしれない。一方で、現代でも通用するかと聞かれるとなかなか厳しい面もありそうで、演劇でも見た後おいしいディナーでも食べに行こうか、なんて優雅な生活の中に自然と入り込むひとつのエンターテインメントとして楽しむ作品だろう。ともあれ、舞台に設置された一つひとつの調度品まで目に浮かぶような豊かな表現力はリアリティと呼ぶにふさわしいものだし、背筋をゾクっとさせる物語の結末も満足度が高い。クリスティ作品の中でも読者を欺すテクニックにおいて最上級の作品なのは間違いない。

では!

 

『シーザーの埋葬』レックス・スタウト【感想】フロンティア精神がかっこいい

1939年発表 ネロ・ウルフ6 大村美根子訳 光文社文庫発行

f:id:tsurezurenarumama:20220601001844j:image

前作『料理長が多すぎる

次作『我が屍を乗り越えよ』

 

 

 

粗あらすじ

愛する蘭の出品のため重い体を動かしたウルフは、旅路の途中で自動車事故に見舞われる。運転者兼助手のアーチー・グッドウィンと、二人して助けを求めて牧草地に足を踏み入れた矢先、怒声が飛んできた。彼らの命は一頭の牛に握られていたのだ。かくして、その全米チャンピオン牛シーザーとかかりあいにあった二人は、シーザーをめぐる数奇な事件に巻き込まれることになる。

 

 

いやあまず題材がいいですね。全米チャンピオン牛って響きもいい。巨牛シーザーと巨漢ウルフの対比も良いし、アーチーと美女リリーの掛け合いも楽しい。シーザーをめぐる争い自体は、あまり興味もなくて、どちらかというとドタバタとした喜劇的な展開を見せますが、様々な思いを秘めた登場人物たち一人ひとりにはちゃんと個性があって、事件の歯車をしっかりと回してくれます。

特に、ウルフの名こそ知られているとはいえ、眉唾物だと甘く見ているオズグッド氏をはじめ、簡単にウルフを騙せるだろうとなめてかかる人間が多いので、彼らとの勝敗をすべて見通しているアーチーの自信満々っぷり/余裕っぷりがとにかく楽しいです。

幸か不幸か、いつのまにか事件の中心にいることになるアーチーですが、全く動じないのもめちゃくちゃかっこいいです。もちろん本シリーズは安楽椅子探偵のウルフが主人公なわけですが、事件を最前線で目撃し、ウルフの文字通りの手足(目・耳・鼻)となって手がかりを収集するアーチーも間違いなく、名探偵の一人。特に本作では、ウルフとの主従の関係を超越した信頼関係を体現するエピソードが盛り込まれているので、必見です。

 

肝心の事件自体は、牛をめぐって行われる一つのギャンブルが関わってきます。賭けによって勝つ者と負ける者、損をする者・得をする者、ほぼ登場する全員がそれらの特性のいずれかを持ち、しっかりとミスディレクションを利かせながら物語は進みます。

上記の筋のとおりホワイダニットがメインのミステリではありますが、事件の背景に用いられる、古典ミステリの王道トリックがなんといっても一押しポイント。小道具そのものに仕掛けを施した作者の手腕に驚かされるはずです。一方でフェアプレイ精神遵守とは言えないのも事実で、ここら辺は読者の好みの範囲でしょうか。

 

ウルフものらしいユーモラスな展開とは裏腹に、ずっしり重めのラストも強い印象を残します。アメリカ独特のフロンティア精神っていうんですか?イギリスのちょっとお堅くて、ちょっと退屈なミステリでは決して出会うことのできない雰囲気を持った上質なミステリでした。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

全米チャンピオン牛が登場するミステリなんて、どんな展開になるか全く想像もできない。

さらっとクライドが死ぬが、他殺だと苦も無く推理してしまうウルフにしびれる。

 

シンプルに考えると、シーザーをめぐる賭け事の中で、勝つために不正をしようとしていたクライドが殺されたというのが有力。なら間違いなくプラット氏が最有力なのだが、そんな単純ではないか。

 

クライドは賭けに勝つために細工を行おうとしていた。そしてその裏には金を狙うブロンスンがいるはず。だが、彼は登場人物一覧にも載っていないし、死んだ。

ということは、クライドを殺した犯人に気づいて、ゆすっていたのだろう。

 

あとは、中盤でシーザーが死んで、急いで火葬されたのが気になる。

シーザーそのものが重要な手がかりだった?ウルフがシーザーの写真を欲しがっていたということは牛そのものの替玉が用意されていた?もしくは、シーザーがシーザーではなかったということか。

 

時系列がよくわからないが、クライドは賭けに勝つために、シーザーを似た牛と入れ替え、偽シーザーをプラットに食べさせる予定だった。

偽シーザーがすぐさま火葬された事実が示すのは、クライドの企みは成功していた?

となると、やはり、賭けに勝者プラットが思い浮かぶが、シーザーの死で宣伝にはならず、賭けに勝ったところで、人ひとり殺す動機としては弱い。

 

うーん、お手上げ。

 

真相

モンティ・マクミラン

(プラットに偽のシーザーを売った詐欺行為がクライドにばれたため殺害。クライドはその詐欺行為をブロンスンに告げており、クライド殺害について恐喝されたため、ブロンスンも殺害。証拠は、偽シーザーの偽スケッチ)

 

本当に言われてみれば、それしかない、という解答で美しい。

このミステリの肝は最初の50頁弱でほとんど示唆されている。

頁38では改めてシーザーの買い戻しとローストビーフ化を避けようとする交渉の場のマクミランの様子が次のようにあらわされている。

マクミランは心もち震える手でグラスを置いた。

また、マクミランの牛たちが炭疽菌で死んだことや、四万五千ドルでプラットに売った情報も示されている。

 

一方で、偽シーザーのスケッチを偽シーザーが生きていた間に描いたという偽の証拠だけが引っかかる部分か。

一応、ウルフはシーザーがすでに死んでいたことを推理していて、アーチーに写真を撮るよう指示していたので、読者としては、本書の頁が開くまでにすでにシーザーがすり替えられており、シーザーの取引で得をした人物=マクミランが怪しい、と推理することも可能、と言われればぐうの音もでない。

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

 

ハンサムでスマート、女にもモテて、腕っぷしも強い典型的なアメリカ人ヒーローが欲しいけど、血腥いハードボイルドものやハラハラする冒険小説の気分じゃないときには、間違いなくアーチー・グッドウィンに会うのがおすすめです。

過去5作品でもアーチーの活躍は十分楽しめるのですが、本書はずば抜けて有能さが際立っているように見えます。たぶんウルフとの関係性でしょうねえ。解決編での演出もそうですし、エピローグの掛け合いも完成しています。

数作ウルフものを経験してから読むとなお面白さが倍増するはずなので、本書から読み始めるのはオススメしません。

では!

 

 

 

 

 

 

 

『その死者の名は』エリザベス・フェラーズ【感想】一冊でわかるすごいシリーズやん

Give a Corpse a Bad Name

1940年発表 トビー&ジョージ1 中村有希訳 創元推理文庫発行

 

 初フェラーズです。ミステリ愛好家からの評判もかなり良いですよねえ。自然と期待値が上がります。

 かたいなかのチョービー村で起こった珍事件が物語の中心です。

深夜、道路の真ん中に泥酔して寝ころんでいた人間を轢いてしまったと警察署に駆け込んできた未亡人。警察は捜査を始めるが、その人間が誰で、何のためにチョービー村に来たのか、どこに行こうとしていたのか、なぜ酔っぱらっていたのかは皆目見当もつかなかった。噂話の宝庫である酒場に居合わせた元新聞記者のトビーと相棒のジョージは興味本位で珍事件に首を突っ込んでいく。

 

 まずは、探偵コンビの不思議な魅力があふれ出します。頭脳明晰で行動派の元新聞記者トビー・ダイクと、警察恐怖症でぽっちゃり丸顔のジョージと名乗る男。一見アンバランスな二人ですが、それぞれの得意分野を生かして、関係者に取り入ったり、人知れず奸計を巡らしたりと、”二人だからこそ”通用する推理手法と、探偵術が特徴的です。

 

 警察からすると、捜査の妨害をしかねないブン屋と得体のしれない男、というコンビなのにもかかわらず、するすると警戒の網をかきわけて、事件の中心に近づいてしまう、人たらしな探偵として、なかなかミステリ史にも類を見ない特異な存在です。特にジョージは、身にまとう雰囲気や言葉の端々に覗くピリッとした毒気のある一言、呆けたふりして核心をつく賢者のような佇まいが癖になります。

 

 中心となるミステリについては、事件の全容/全体像が謎の中心となっており、急激な物語のアップダウンがあるわけでもなく、牧歌的な田舎町の雰囲気そのまま、しっとりと流れます。

 殺人を犯しそうな人物がそれなりに登場し、裏で暗躍する人間の影もちらつきます。また、決定的な物的証拠は、次々に手が加えられ、関係者の証言も二転三転して、事件の全体像を暈すことで、謎の不可思議性や奥行きはぐんと深まります。

 

 ただ、犯人を指し示す証拠があまりにお粗末なため、犯人当ては簡単♪簡単♪………と思ったところからが本書のスタート。

 エリザベス・フェラーズが本書の中で画策した真のトリックと、チョービー村の長閑な空気に隠された驚愕のミステリが待っています。ここに冒頭の探偵のキャラクターを加味した強烈な推理が、強い説得力を伴ってぶん殴ってくるのがたまりません。

 

 デビュー作でこの出来ですから、ほかのシリーズ作品の期待もぐんぐん上がります。

 個性的な登場人物たちによる”含み”まくりの会話の応酬があったり、村の雰囲気のまんまメリハリの利いた展開はないので、ややゆったりとした海外小説でも読める読者なら十分楽しめる名作だと思います。

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 解決への初めの分岐点は、ミルン夫人がただ事故に巻き込まれたかどうか。

 (a)故意に男を轢いたのか、それとも(b)ただの事故だったのか。

 故意ならば、(a')ミルン夫人もしくは関係する人物に男への殺害の動機があったかどうかが論点になる。

 事故ならば、(b')本当にただの事故(c)真犯人による事故の画策、が考えられる。

 ただ、酔っぱらいを道に放置していて、本当に確実にその人物を死に至らしめることは可能だろうか。例えば泥酔状態の人間を、橋から突き落としても同じ効果が得られるし、車に轢かれるとも限らないし、仮に轢かれても確実な死は望めない。よって(c)の可能性は少ないだろう。

 (b')はミステリ的に無いか。

 ならば消去法で(a)ミルン夫人が故意に轢いた線で進めていこう。

 

 ミルン夫人のような世知に長けた経験豊富な女性なら、事故を装って自身に不利益な人間を殺そうとしても不思議ではない。殺人に必要な度胸も演技力も頭脳もすべてそろっているように思える。

 ただ、ミルン夫人のキャラクターから過去に執着があるようには思えないこと、彼女を怪しく見せる手がかり(酒壜・スーツケース)が集まりすぎるところが妙に怪しい。

 彼女が殺したと見せかけようとする真犯人の計画だろうか。そもそも”事故に見せかけて”というのが、殺害方法としても手法としても弱いが………。

 

ミルン夫人以外の人物から推理すると、まずはミルン夫人に思いを寄せている風のマクスウェル少佐だが、これは動機も王道過ぎて怪しくない。

 娘のダフネと恋人エイドリアン・ローズはどうだろうか。

 ミルン夫人の遺産目当てと考えれば一定納得はできるし、エイドリアンの軽薄なキャラクターやダフネのトビーに対するロマンスの視線もミスディレクションにはうまい具合に作用している。

 

 終盤、エイドリアンとミルン夫人の意味ありげな応酬や、エイドリアンのコテージでの雑誌のやり取りなどから、彼らのどちらかが犯人であろう雰囲気は感じる。どっちだ?

 

推理

エイドリアン・ローズ(おどおどしてた)

 

真相

エイドリアン・ローズ(ヘンリー・ライマーの事故死に関与した。その事故を逆手にダフネと結婚し、遺産を奪うためミルン夫人の逮捕≒死に誘導した)

ミルン夫人(エイドリアン・ローズの自殺を教唆。娘ダフネを守るため)

 

 最終章はさすがにしびれました。まさかありきたりな凸凹コンビものだと思っていたのに、まさか探偵役にも大逆転の仕掛けが施されていたとは。

 また、ミルン夫人自身の事件への関与の動機付け、とくにダフネの真の年齢を隠すため、そして自身のような結婚生活を送らせないようにという母親の愛から出たエイドリアンとの対立というプロットは抜群にうまいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

 この一作でわかるんですが、めちゃくちゃいいシリーズですよねこれ。たった5作しかないなんて驚きです。これから1940年代を代表する黄金期のミステリをどんどん楽しみたいと思います。

『災厄の町』エラリー・クイーン【感想】逆転の構図が光る名作

CALAMITY TOWN

1942年発表 エラリー・クイーン 越前敏弥訳 ハヤカワ文庫発行

前作『ドラゴンの歯

次作『靴に住む老婆』

 

 

ネタバレなし感想

 ついにライツヴィルにやってまいりました。ライツヴィルとはニューヨークの北方に位置するとされる架空の町で、エラリーは新作執筆のためにニューヨークを離れ、この町へやってきます。

 町一番の旧家ライト家が売りに出した物件を借りたエラリーですが、その家は新婚夫婦の奇妙な離別や、買い手の怪死のせいで“災厄の家”と呼ばれる曰く付きの物件でした。名家の放蕩娘や奇妙な三角関係に振り回されながらも、なんとか三週間を乗り切ったころ、災厄の元凶が舞い戻ってきて、穏やかに見えたライツヴィルの景色が一変します。

 

 題材はドロドロしていて重たいし、全員が奥歯にものが挟まったような言い回ししかしないので、歯がゆさしかなくイライラはするのですが、それら暗雲をぱっと晴らす解決編が用意されているので、それなりに読後感は良いです。

 ただ、登場人物の人間的な“弱さ”を前提条件としたミステリなので、一人でも強い人間がいれば(探偵エラリーも例外ではありません)という、苛立ちともどかしさが常につきまといます。エラリーがある人物について勇気があると形容するシーンがあるのですが、ここらへんにぐっとくるかどうかで物語の印象/評価がガラッと変わってしまうのではないでしょうか。

 

 トリックやロジックによる推理ではなく人間関係を紐解くことに長けた人ならば、一読すれば真相がわかってしまう難易度だとは思いますが、端役の使い方や、彼らに忍ばされた謎の明かし方など、作者の巧者な手腕を堪能できる一冊には違いありません。

 また、法の網目を掻い潜り法廷闘争をかき乱す証人や、予想外の犯人を指名するエラリーの突飛なロジックが描かれる法廷シーンも見どころの一つになっています。

 

 事件そのものがやや定型的だったり、ロマンスが推理に邪魔だったりと気になる点がなくはないんですが、まあ、光の当て方で事件の姿や登場人物の印象が180度変わる逆転の構図(今思いついた)が素晴らしいので、文句はありません。

 クイーン初期の整った数学的な美しさではなく、全体を眺めて感じる絵画的な美しさへと転換した中期の名作として、多くの人に―特に人間ドラマを巧みにあやつったクリスティの愛読者の皆さんに―読んで欲しいミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 婚約者を捨てた男が3年をという月日を経て戻ってくる。異様な状況だ。3年前の出来事か、3年間の出来事がどちらかが事件の要因だろう。

 

 ジムが3年を掛けてノーラの毒殺を計画したとは考えにくい。その計画を記した(未来への)手紙が残っている、という状況も信じがたい。

 考えられるのは、3年間の間にジムはノーラ以外の女性と結婚し、その妻が死んだということ。

 そして、ジムを追ってライツヴィルにきたローズマリー・ヘイトはジムの姉などではなく、死んだと思われていた妻に違いない。

 ジムは、重婚の罪を脅迫され、妻ヘイト夫人にゆすられており、だからこそ偽ローズマリーは殺された。

 

 となると、犯人は二人しかいない。ジムかノーラか。ジムのことはエラリーが見張っており、その後グラスに触れたのはノーラしかいない。ヒ素もジムが購入したのならば、ノーラは容易に入手できただろう。

 ただ気になるのは、ジムはノーラだと気づいていながら、なぜ真相を告げないのか。知らずに重婚の罪を追わせてしまったノーラへの罪滅ぼしなのか。そして、ノーラは自分で殺しておきながら、なぜジムの無実を訴えるのか。

 なにか心につっかえるものがあるが何かはわからない。

とりあえず犯人あては終了

 

推理

ノーラ・ヘイト(ライト)

 

真相

ノーラの目的はローズマリーと夫ジムの死だった。彼女は自身の傷つけたジムにローズマリー殺し罪を被せ二人に復讐をしたのだった。ジムが自分を庇うことも全て計算ずくだった。

 

 

 いやあ、なぜ気づかないんだって感じだが、恐ろしい悲劇だった。

 今回のネタは、「犯人あて」に限って言えば全然難易度は高くなく、むしろ、真犯人とジムとの関係性や言動の謎を解明するのが中核だった。そして、無実と知るジムを救おうとする本物の姉ローズマリーの変装や、真相に気付いてなお物語を静観するエラリーの不可思議な行動など、どうすることもできない不条理な状況に抗おうとする人間たちのドラマを描くミステリなのだ。

 エラリーのロマンスの終着点が、パットとカートの選択した決断だと考えれば、ロマンス描写も決して不必要なものではなかったと言える。

 

 

 

    ネタバレ終わり

 本書は、エラリー・クイーンシリーズを始め多くのミステリの翻訳を手掛ける越前敏弥氏の手による新訳版。旧訳で伝えきれない細かな部分を修正したもののようです。旧訳版を読んでいないため、確たることは言えませんが、あとがきを見る限り、原作者の意図を忠実に伝えるための努力の結晶が本書のようですので、これから読む方は、もちろんこの新訳版をお勧めします。

では!

 

『不可能犯罪捜査課・カー短編全集1』ジョン・ディクスン・カー【感想】小粒がいっぱいで普通に辛い

f:id:tsurezurenarumama:20210924192957j:image

THE DEPARTMENT OF QUEER COMPLAINTS

1940年発表 マーチ大佐 宇野利泰訳 創元推理文庫発行

 

 巨匠カーの短編は初めて。長編にある重奏的なトリック、怪奇現象の波状攻撃はありません。しかし、山椒は小粒でもぴりりと辛いと言いますか、短い物語の中に輪郭のくっきりしたピリッと刺激的な仕掛けやトリックがあるのもまた真実です。

 スコットランドヤードにある奇怪な事件専門の部署・D3課の課長マーチ大佐が活躍する6編に加え、歴史ものや超自然を扱ったものまでバリエーションに富んだ10編が収められています。

 

各話感想

新透明人間 The New Invisible Man

 宙に浮いた手袋が老人を射殺した!?これでもかと不可思議な現象を全面に押し出した作品です。トリックは明かされてみれば平易なんですが、痛快なオチにいたるプロットに構成美が見える一作です。

 

 

空中の足跡 The Footprint in the Sky

 夢現の人物による記憶にはない犯罪をテーマにした作品です。同じようなテーマの作品はいくつかありますが、本作では(一応)ちゃんとしたトリックで別の解答が用意されています。質は……まあどっちでもいいです。

 

ホット・マネー Hot Money

 ポーの『盗まれた手紙』系列の一編。その手の作品の中ではもしかすると最低ランクの出来なのではないでしょうか。まあ、ここは文化の違いという点で色眼鏡で見てあげてもいいんですが。この作品を認めるとなってくると、なんでもアリになってくるんでね。

 

楽屋の死 Death in the Dressing-Room

 アリバイトリックに注力された殺人事件がテーマ。この系列の作品はぜひ映像化してもらって実行可能か試してもらいたいですね。まあ、ありきたりな作品からは抜け出せないので、もう一ひねりあっても良かったかなとは思います。

 

銀色のカーテン The Silver Curtain

 本書ベストの作品です。カジノで磨ってしまった青年が、怪しげな小遣い稼ぎに巻き込まれ、破滅へと向かっていくお話。降りしきる雨、異国の裏町、銀の短剣など想像を膨らませる鮮やかな叙景描写が素晴らしく、その全てを効果的に活用した珠玉のトリックもまた一級品です。

 

暁の出来事 Error at Daybreak

 長編でみられるカー得意のドタバタ劇が短編にぎゅぎゅっと凝縮されたトリッキーな一編。原因不明の死と死体消失という八方ふさがりの事件ですが、マーチ大佐の機転によって事件は思わぬ展開を迎えます。話の展開がミステリ通好みですが、トリックに関してはちょっとお粗末なところも。

 

もう一つの絞刑吏 The Orther Hangman

 物語は、19世紀末の死刑宣告を受けた極悪人を巡る怪事件です。強烈なインパクトを残すオチが見事なので、物語の筋は省略しますが、法の網を掻い潜る完全犯罪を堪能できるはずです。後半のマーチ大佐ものでない作品群では本書がベスト。

 

二つの死 New Murders of for Old

 静養のために船旅に出た実業家の青年が新聞で見たニュースは、なんと自分が自殺したというものだった。急いでわが家へと帰った男が見たものとは……。

 第三者の語り手によって俯瞰的に語られる物語の雰囲気が見事です。ネタはありきたりでも、怪奇の影を落としながら、不合理を合理的に描写していくカーの卓抜した手技が素晴らしいと思います。リドルストーリーにも読める遊び心もなかなか秀逸です。

 

目に見えぬ凶器 Persons or Things Unknown

 古典的な名トリックが光る作品です。語られるのは16世紀に起きた怪事件。十三カ所もの創傷を負った死体とその部屋に居合わせた最有力容疑者。しかしながら容疑者の体からも部屋からも犯行の凶器は見つからなかった。

 トリックについてはやや難ありのような気もしますが、物事があるべきところに落ち着く一種の安心感があるのも事実で、怪談噺のオチに結び付けるカーのユーモアも光る秀作です。

 

めくら頭巾 Blind Man’s Hood

 カーは、最後の最後にどえらいミステリを持ってきてくれました。もう雰囲気が見事なので、ぜひなんの事前情報もなしに読んでほしいです。19世紀のクリスマスのある夜が舞台になっているので、時期を合わせて読むと怖さが倍増すること間違いなし。ただ、恐いだけで終わらせることなく、緩急をつけたオチが用意されているので、ホラーが苦手な人でもちゃんと楽しめるはずです。

 

 

おわりに

 エラリー・クイーンの『冒険』『新冒険』みたいに、完璧なトリックと完璧なロジックがあるわけではないんですが、エンターテインメントとして、読者の感情を揺さぶり、楽しませる点では、エラリーやクリスティでも敵わないテクニックがカーにはあります。

 特に、恐怖心を煽る部分と、恐さと紙一重にある「なんだ、良かった」という安心感を同時に提供してくれるプロットはさすがです。

では!

 

 



『虎の牙』モーリス・ルブラン【感想】細密フィルターを通せば面白い

f:id:tsurezurenarumama:20210918003906j:image

Les Dents Du Tigle

1921年発表 アルセーヌ・ルパン9 井上勇訳 創元推理文庫発行

前作『(三十)棺桶島

次作『八点鐘』

 

 本作でアルセーヌ・ルパンシリーズに挑もうとする読者はほぼいないでしょうが、少なくとも『813』は読んでおいた方が楽しめると思います。

 

 物語の骨子は、大富豪の二億フランもの遺産を巡る謀略です。ルパンは予期せずその罠の中に巻き込まれてしまう訳ですが、どうもいつものキレというか鮮やかさが失われているように思えます。もちろん、策謀した真犯人に関するサプライズや、犯人を巧みに隠すトリックとミスディレクションはあります。ルパンの忠義な支持者たちや好敵手、ルパンものに必須のロマンスなどぎゅぎゅっと要素だけは詰まっているはずなんですが……。

 

 ルパンが策を巡らせれば巡らせるほど、どんどん深みにはまっていって抜け出せなくなり、とうとうルパン史上最大の窮地に立たされるなど、物語自体のリーダビリティの高さはそこそこあると思います。地を駆け、空を飛ぶ冒険劇も見どころで、舞台を鮮やかに転換させる手腕も見事です。

 

 それでもやっぱりモヤモヤが止まらないのは第二部「フロランスの秘密」中に起こるイベントの重さというか受け入れ難さが原因です。

 ルパンシリーズでは差別がまあ当たり前のように描写されています。もちろん時代が時代なので、こちら側(読者)にしっかりフィルターをかけさえすれば、全然楽しく読むことができるのですが、本書はどうも体が受け付けませんでした。正面から差別という事象の残酷さを突きつけられた気がして正視できなかった、というのが正直なところでしょうか。

 例えば、前作に当たる『(三十)棺桶島』や『オルヌカン城の秘密』『金三角』を見ればもっと明らかなのですが、作中では自国(フランス)における黒人と、敵国の黒人への扱いの差異や、ドイツ人や敵対した国の人種に対する当たりの強さがこれでもかと強調されています。白人が世界に及ぼした文化的・軍事的な影響力の強さがそのまま文字となって滲み出てきて、これが当時のリアルだったんだ、人々の認識の平均値だったんだと突きつけられる辛さもあります。

 それら人種差別に加えて、本作では文化/文明による差別が色濃く出た作品でした。僻地の/未開の地で、自分たちの文化水準(というのも主観ですが)に達していない野蛮な民族(という思い込み)に対する、同情や嫌悪、侮蔑の感情というのがオブラートに包まれず飛び出します。でもこれって少なからず自分の心の中にも巣食っている感情ではないかと思うのです。可哀想に思う同情心がどんどん煮詰まって後に残るのが、自分たちの方が優れているという歪んだ優生思想だとすると、日本に生まれてよかったという安心感すら化学変化してしまう危険性もあるのではないでしょうか。

 あと敵国に対する当時の感情って、今の日本と近隣諸国の間にも燻っているわけじゃないですか。昔こんなことをされた。あの国は野蛮だから。お互いがそう思い合っているような歴史があって、それを端に発した悪感情がふとした時に顕在化して人目につくケースが身の周りでもよくあります。人の振り見て我が振り直せ、じゃないですけど、自分の中に、アルセーヌ・ルパンと同じ歪んだ醜いところもあると認識できるのも、このシリーズを読む意義なのかもしれません。

 あ、もしかして、タイトル「虎の牙」って自分たちの中にある醜い攻撃性のことなんじゃないですか(違う)。

では。

 

『緑は危険』クリスチアナ・ブランド【感想】作者の最高傑作、は伊達じゃない

Green for Danger

1944年 コックリル警部2 中村保男訳 ハヤカワ文庫発行

前作『切られた首』

次作『自宅にて急逝』

 

 完全にミスった。いつもシリーズ作品は、第一作から読むことを習慣にしているのに、間違って2作目から読んでしまった。

 まあ、いいか、めちゃくちゃ面白かったし。

 

ネタバレなし感想

 本作の舞台は第二次世界大戦下の病院。第一章から、ただの登場人物紹介に甘んじることなく、読者を煽る一文が光っている。郵便配達夫の届ける郵便と交差して、関係者たちの過去の重要なシーンが写真のように切り取られていくのも面白い構成。

 冒頭でクセと影がある関係者たちを紹介し、その中に、事件の伏線や手掛かりになり得る描写を挿入するのは、処女作『ハイヒールの死』でも見られるようにブランドお得意の手法らしい。

 

 落ち着きはらった医療関係者たちとは裏腹に、常に付きまとう空襲による無慈悲な死、次々に運び込まれる負傷者たち、治療と手術、看護の繰り返しなどに起因する不安や不満がそこはかとなく伝わってくる。戦時下の別の側面を見せてくれるブランドの筆致は素晴らしい。

 さらに、ボルテージが上がってくるのは、そんな死の嵐が吹き荒れる外界と隔絶され、安全色の緑一色に包まれた手術室に入った途端、背筋が凍るような恐怖と緊迫感が感じられるから。それは、ただの細かい情景描写のおかげではない。手術室にある一つひとつの小道具から、死の気配が漂ってくるかのような絶妙なテクニックのおかげだ。

 

 物語の本流は、ドロドロとした医師と看護師たちのロマンスの濁流で、関係者たちの視線や会話に集中してしまうが、殺人事件の発端となる死が不意を突いてやってくるので、その時点で一度ブランドにぶん殴られるのを感じる。

 国内の某有名医療ミステリの原型にも見える第一の事件のプロットも見どころで、不可能性・不可思議性の大きさと高い緊張感が奏功し、どんどん物語のテンポが上がっていく。

 

 そして、さらに恐怖のレベルを一段上げるのが第二の事件。第一の事件でさえ、全く見当のつかない謎なのに、第二の事件ではさらに不可解な状況で事件が起きている。

 第一の事件では、事件性があるのかないのか不明で、物腰も柔らかかったコックリル警部だったが、第二の事件でその背後にある悪意をしっかりと感じ取る。

 

 コックリル警部の熱心で粘り強い捜査が始まると、関係者たちの抱える闇や秘密が少しずつ明らかとなり、事件の輪郭が朧げに見えてくる。なぜあんな状況で、なぜ死体に不可解な痕跡が、そもそもなぜ事件が起きたのか。舞台は再び始まりの場所へ。全ての答えが出される、空気が張り詰めた解決編へとなだれ込む。

 

 ミスディレクションは大味だが、遊び心と好演出がこれでもかと詰まった解決編はまさに圧巻。事件のその後を描く悲哀に満ちたオチも見事で、クリスティ・クイーン・カーを受け継ぐといわれるブランドの実力がいかんなく発揮された傑作だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

 冒頭の登場人物紹介から翻弄される。

 この中の7人のうち一人が犯人だと!?彼らの間に何が起こるのだろうか。

 序盤で感じられるのは、オーソドックスな痴情の縺れ。イーデンを中心とした色恋沙汰だろう。

 もう一つの軸は、ムーンバーンズの会話の中にあった医療ミスの噂と息子を殺された老医師のエピソード。

 

 第一の事件が起きるが、なんと死んだのは冒頭で登場した郵便配達夫ヒギンズ。手紙の配達中になにかに気づいた、ということだろうか。

 ヒギンズの言葉「どこで俺はあの声を聞いたのか」からわかるのは、ヒギンズと関係者たち7人の過去の接点が事件の鍵だ、ということ。

 

 ヒギンズの死は、安直にいけば麻酔医バーンズ博士のミスだが、彼の過去の噂とヒギンズの接点は今のところ見つからない。一番疑われる麻酔医が麻酔を用いて殺害するのも合理的ではない。

 トリックはシンプルにボンベに細工されたと考えるのが普通だが、事件後も他の患者に使用されたのであれば、入れ替わった可能性は少ないか。

 

 シスター・ベーツとバーンズのひと悶着はさらなる波乱を予感させる。

 案の定、何かに気づいたベーツは何者かによって殺されてしまう。理由はもちろん、ヒギンズ殺害の証拠に気づいてしまったからだろう。

 ここで魅力的な謎が提示される。

「なぜ二度も刺されたのか」

 これもシンプルに考えると、死体に残った一度目の痕跡を隠そうとしたため、もしくは手術衣そのものに残された何らかの痕跡を隠そうとしたのだろう。まあ、何かはわからないが。関係者の中に怪我をしている(血痕が残る)人物もいないし、身体的な特徴がある人もいない。

 

 フレデリカの殺害未遂はさらに混迷する。なんとなく本事件の画にまったく似合わない事件に見える。もしかしてフレデリカの自作自演か?

 消えたモルヒネは……たぶん最後に犯人が自分に使うんだろうな。

 

推理

ムーン少佐

息子が殺された復讐。だが、コックリル警部を呼んだのはムーン少佐だ。なぜか、どうやってかはわからない。作中で示唆されているように、ヒギンズの死因は、たぶん酸素欠乏。なんやかんやで手術中に酸素が供給されなくなったに違いない。例えば物理的に口が塞がれていたとか。

ベーツがムーン少佐に犯人を知っていると漏らしたり、彼のキャラクター的にも犯人から遠いのはわかっているが、彼以外の犯人が思い浮かばない。

 

真相

エスター・サンソン

ヒギンズは、母の救出をせず見殺しにした(故意ではなく現実的に不可能だった)元救助隊員だった。母を置いて出て行った後悔や葛藤から、母を殺したという妄執に囚われ、ヒギンズを殺し、彼の部下だったウィリアムをも殺そうとする。ヒギンズの殺害トリックは二酸化炭素のボトル(緑)を酸素のボトル(黒)に塗り替えるもの。ヒギンズの正体を知り、事前にボトルを塗り替える準備ができたのは、エスターのみ、という論理。ベーツはヒギンズ殺しの証拠に気づかれたため殺害。

 

 サプライズの大きさはもちろん、愛するエスターを救おうとしたムーン少佐とその結末(さらにはムーン少佐のその後)まで、鮮やかな演出が記憶に残るが、動機の部分でもう少し手がかりが欲しかった、というのが正直なところ。

 エスターの母親の死が誰にも過失がなかったのが原因だろうが、救助隊が間に合わなかったという描写は合っても良かったのではないか(見つけられなかった)

 

 

 

    ネタバレ終わり

 クリスチアナ・ブランドの最高傑作と呼び声高い『緑は危険』は、その名に恥じぬ傑作長編。登場人物たちの過去・現在・未来をまっすぐ線で繋いで、その中で生じた重層的な謎を綺麗に畳む技量の高さに圧倒さた。次も(というか前作も)期待できる。

では。

『怪盗レトン』ジョルジュ・シムノン【感想】想像していたよりもドロッとせず、キリっとしてる

f:id:tsurezurenarumama:20210901000222j:image

Pietre le Letton

1929年発表 メグレ警部1 稲葉明雄訳 角川文庫発行

次作『死んだギャレ氏』

 

 

 メグレ警部と言えば、名探偵コナンの目暮警部の名前の由来になった名探偵です。

 その記念すべき1作目が本作『怪盗レトン』なのですが、本書に出会うのには本当に苦労しました。電子書籍ならあるんですが、どうも出版社に抵抗がありましてね。

その話は置いといて、ようやく今年、ある程度適正な値段で本書と出会えましたので、これからは、メグレシリーズもちょくちょく読んでいきたいと思います。と言いつつ第二作『死んだギャレ氏』の入手難易度も凶悪です。各出版社の皆様復刊をよろしくお願いいたします。

 

で本書の感想なんですが、シムノン自身が、あくまで自分を”純文学の作家”だと思っていたという話どおり、オーソドックスな推理小説とは一線を画す独特の文体と空気感が見事です。

なんか、こういうかっちょイイ空気をもつ作品を読むと、いっつも読書メーターの感想が、その熱に当てられておかしくなっちゃうんで、一応晒しときます。

1931年発表のメグレ警部シリーズ第1作。国際的犯罪組織の首領ピートル・ル・レトンとメグレ警部の対決が骨子。人間の持つ豊かな感情を全て曝け出して物語を紡ぐシムノンの怪腕によって、魅力的な犯罪者と天才的な探偵という正統派の探偵小説とはまるっきり違う作品になっている。人間とはかくも豊かで、愚かで、愛しく、馬鹿馬鹿しい生き物か。ミステリ的なサプライズはほぼ無いが、厳しくも情緒ある描写、探偵と犯人のノスタルジックな雰囲気さえ感じさせる対決、そこからガラッと一変する温かいラストが、全てを上回る充足感を与えてくれる。

なにが「馬鹿馬鹿しい生き物か」なんでしょうか。

 

さて、冒頭のメグレの元に届いた電報のシーンから、大人の雰囲気が爆発しています。なんか、タイプライターのカタカタという乾いた音が聞こえてきそうな(電報だっての)レトロな空気です。メグレ警部の一つひとつの動きだけで絵になるというか、重さを感じるのはやはりシムノンの天才的な筆致と、訳者稲葉明雄氏の名翻訳のおかげでしょう。

物語の方はシンプルで、メグレ警視が、国際刑事警察委員会(インターポールのようなもの?)からの情報を元に、国際的犯罪組織のボスであるレトンを追い詰めるシーンから始まります。メグレは、レトンの人相書きを頭に叩き込み、レトンが乗っていると思われる列車の停車駅で彼を待ちますが、レトンの身体的特徴にぴったり符合する男を見つけた矢先、メグレの足を止める事件が起こってしまいます。

 

初めてのシムノン作品ということもあって、どのような楽しみ方をすればよいか、その感覚を掴むのが難しかったです。モーリス・ルブランのルパンシリーズのように怪盗とメグレ警部の追いかけっこが中心というわけではなく、メインの殺人事件が物語の前提を破壊してしまうことで一気に物語の奥行きと厚さが増すのがわかります。

レトンと思しき人物を追跡するにつれ、メグレは様々な痕跡に出会います。そして痕跡を辿って、フランス北西部の町フェカン、暗く長い露地が続くパリの裏町を冒険する一つ一つの情景が、簡潔かつ流麗にテンポよく描かれています。しっかり調べたわけではないんですが、体感的に短文の方が多くて、ダラダラとした冗長な描写が少ないのでめっちゃ読みやすいんですよね。なのに、メグレに降りかかる凶事と、悲劇に涙することも許されないメグレの静かな怒りの焔がストーリー全体にどっしりと重たくのしかかります。

パリの裏町に住む激情的で意思堅固なユダヤ人の女アンナ・ゴルスキン、そして港町フェカンで二人の子どもを守りながら船乗りである父親の帰りを待つスワン夫人、この一見交差することのないような二人の女性を繋ぐ、レトンという極悪人そして彼に瓜二つの男。彼らの複雑に絡み合った人生の糸を解す解決編は、謎の解決としては小粒ながら、登場人物に向き合うメグレの造形が冴えわたっており勢いもピークを迎えます。特に、どっしりと椅子に腰を据え、ラム酒の壜を挟んで犯人と対面するシーンは、紋切り型のミステリを吹き飛ばしてしまう衝撃と破壊力があります。

同じようなミステリを探してみたんですけど、今まで自分が出会ったことのないミステリのようです。フランスのミステリってもっとドロッとしていたり、女性の扱いになんかモヤモヤすることが多かったのですが、本書はメグレの視点とメグレの見せ方がかっこよくて没入度も半端なかったです。

では!

『フレンチ警部の多忙な休暇』F.W.クロフツ【感想】警察24時が先か、クロフツが先か

f:id:tsurezurenarumama:20210901000422j:image

FATAL VENTURE

Fatal=致命的な

Venture=(金銭的にリスクの高いbusiness)投機、事業

ですから、『死をまねく事業』というところでしょうか

1939年発表 フレンチ警部19 中村能三訳 創元推理文庫発行

前作『フレンチ警部と毒蛇の謎

次作『黄金の灰』

 

 

 

 クロフツお馴染みの手法である2部構成が効果的に用いられた長編。1部では事件発生までの背景や設定が描かれ、2部でフレンチ警部の捜査が始まる、いたってオーソドックスな展開景なのだが、+αの一捻りが加えられているのが上手い。というか、そもそもオーソドックスというのはクロフツ作品の中での話で、海外古典ミステリでここまで堅実な2部構成になっているのはクロフツ以外にあまりない。被害者を始めとした関係者たちの人生と冒険を1部で堪能し、2部でフレンチ警部の確実な推理を楽しむ。楽しみ方さえ知っていれば、クロフツ作品は何倍も面白くなる。

 

 いつもどおり、1部で語られるビジネスアイデアとその実行方法がシンプルに面白い。よくもまあ色んなアイデアが思いつくものだと、クロフツの創作能力の高さに改めて感動する。

1部の主人公は旅行会社の添乗員ハリー・モリソン。団体旅行者の添乗中に出会った紳士ブリストウから豪華客船を用いた真新しい旅行計画を打ち明けられたモリソンは、スポンサーを求め旅行好きの大富豪ストット氏を紹介した。かくして、人生の成功へと歩みを始めたモリソンだったが、航海の最中、彼の人生を変えるような大事件が起きてしまう。

 

 前半の大半は、モリソンとブリストウがビジネスを軌道に乗せるまでを事細かに描写していく。どこでどう経費を削ることができるか、収支のバランスはどうか、恒常的に利益を生み出すことができるか、法律上の問題や障害はないか。それこそ、世の中の働く人々が何か新しいものを生み出そうとするときにぶつかる壁が全て本書に描かれていると言っても良い。事件(とその背景)にリアリティを持たせる、これだけで自然と物語が勢いをつけて転がり出し、人間を動かし、凶悪事件まで引き起こしてしまうのだから面白い。

 

 本書のフレンチ警部はある密命を帯びて捜査にとりかかる。しかも、そこにフレンチ夫人も登場するというから驚きだ。フレンチ夫人の一風変わった考え方と進言は、フレンチ警部の頭の中に新しい風を吹かし、事件に新たな側面から光を当てることになる。

 論理的な解決のためには、ここから多少強引に想像を飛躍させ、穴だらけの物証を探す作業が必要だが、怪しい記述や犯人の手抜かりはあからさまに描かれるので、犯人当てには苦労しない。しかし、解決編では、犯人当てではなく、物語の真の解決に向かってプロットを組むクロフツの正義感・警察愛が輝くので最後まで見逃してはいけない。

 

 本書の醍醐味は、やはりフレンチ警部の着実な捜査と、徐々に逮捕の輪が狭まっていく様。そして、素人犯罪者に対する、捜査のプロの手腕をじっくり堪能できるところにある。これは、たまにテレビで特集される「警察24時」のようなドキュメンタリー番組に近い。警察官の鋭い目はどんな悪事も見逃さず、怪しい動きや人間を機敏に捉える。様々な悪に対して、正義は決して怯むことは無く、警察の執念の捜査は報われ、最後には必ず正義が勝つ。これが多くの作品の中でフレンチ警部が体現していること。

 わかった。私がクロフツものが好きなのは「警察24時」が好きだからだ。たぶん。

では! 

『本命』ディック・フランシス【感想】硬派と軟派のあいだ

f:id:tsurezurenarumama:20210818215011j:image

Dead Cert

1962年発表 菊池光訳 ハヤカワ文庫発行 

 

ディック・フランシスという男

 ディック・フランシスは1920年ウェールズ生まれ。祖父の代から競走馬の世話や騎手、厩舎に関わりのある家庭で育ち、フランシスも幼少期から乗馬をこなすなど馬になじみの深い生活を送ります。

 大人になり身長が伸びてしまったフランシスは平地競争の騎手にはなれなかったものの、障害競走の騎手としては年間の最多勝利騎手になったり、エリザベス王太后の専属騎手を務めるなど、騎手としての成功を収めました。

 37歳で騎手を引退後、新聞の競馬欄を担当する新聞記者をする傍ら、1962年処女長編である本書『本命』を発表します。日本では、「競馬シリーズ」と呼ばれる競馬場や馬をプロットに組み込んだミステリが人気を博しました。絶版状態のものが多く手に入るものとそうでないものの差が激しいですが、40作以上の著作は全て翻訳されています。

 

 ディック・フランシスの作品の良さについては以下の記事に心を動かされました。ディック・フランシスを「神のような存在」と呼ぶ筆者の大きな愛が伝わってきます。かくいう自分もこの記事を読んで集めようと思ったのでぜひご覧ください。

初心者のためのディック・フランシス入門(執筆者・五代ゆう) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート

 

 

 

ネタバレなし感想

 本書はなかなかにショッキングなシーンで始まります。500㎏近い馬体を軽々持ち上げる筋肉ときらめき靡く鬣を持つ名馬が、まさかの事態に陥ります。そのレースに参加し、事件を目の前で見ていた主人公の騎手ヨークは、レース中に見た“その場にあるはずのない物”を思い出していました。悲劇に見舞われた親友の無念を晴らすべく、ヨークは単身調査を開始します。

 

 最初に言うのもなんですが、巻末の原田俊治氏(JRAにも長く勤めた馬の専門家)の「競馬、イギリスと日本の違い」がめっちゃ面白いです。本書のネタバレはなく、本書のような競馬を題材にした推理小説を読む際に役立つ事象を紹介してくれているので、先に読むのも良いかもしれません。

 

 事件は障害競走のレース中に起こったということで、謎の手掛かりも全て競馬場に散らばっており、ヨークは、同僚の騎手や競馬場に出入りする関係者に聞き込みを行い少しずつ手掛かりを集めていきます。私自身まったくと言ってよいほど競馬の知識は皆無なのですが、このヨークの聞き込みをとおして、競馬場のしきたりや習慣、レースのルールや賭けの仕組みなど、競馬知識が増えていく感覚も本書の醍醐味です。

 

 その後ヨークは、競馬界に蔓延る闇に少しずつ足を踏み入れてゆきます。そして、その闇に呑みこまれているのはヨークだけでなく、同僚のジョッキーたちであることも明らかになり、事件は新たな展開を迎えます。

 

 自分自身が容疑者だと疑われながら、また、脅迫され命の危険を感じながらも、愛する友のため/友の遺した家族を守るために孤軍奮闘する主人公の輝きが眩しすぎます。

 手掛かり自体は、進行に合わせて自然と主人公の周りに集まってきますし、わかりやすいミスディレクションもちゃんと機能を果たしながら物語が進むので、謎解きの面では決して難しいものではありません。

 それでも後半に行くにつれてボルテージが上がっていくのは、大敵との戦いを描いた、迫真のマ(馬)-チェイスシーン。最近、大都会NYで馬を駆りながら超絶アクションが爆裂する映画(『ジョン・ウィック:パラベラム』)を見たので、めちゃくちゃシンクロしながら読むことができました。興味のある方は、是非『ジョン・ウィック』三部作もご覧ください。

 

 

 閑話休題。先の記事でもあったように、本作でも、“数々の困難を不屈の闘志で乗り越えていく英国紳士”というディック・フランシス作品共通のキャラクターが、ヨークという名を借りて、大立ち回りを演じるわけですが、本作にはそれに加えて脇役たちの深い造形も際立っています。親友の愛らしい子どもたちとの僅かなエピソードも一つ一つが鮮烈な印象を残すし、ヨークの友を思う熱い眼差しは、すでに世を去った人物にすら優しく力強い光を投げかけます。

 また、エキサイティングな冒険活劇とロマンスの書き分けも抜群に上手く、ヨークと新進気鋭の騎手との恋のさや当ても見どころの一つです。恋であってもスポーツであっても心身ともにタフな、英国紳士然とした誇り高き男たちが、悪を倒すヒーローものとして読み継がれるべき名作です。

 

 

 

 どうにもこうにも綺麗に言語化できなくて、あとちょっとダラダラ書きます。

 たしかに本作の主人公には、不撓不屈の精神というか、わかりやすい漢らしさ、正義へと向かう真っ直ぐな意志、硬派な姿勢が満ちているのですが、一方で、洗練されたユーモアの感覚もばっちし備わっていて、ここがすっごい不思議な(それでいて心地よい)感覚なんですよね。つまりは、お堅くないんですよ。でも決して軟派でもない。

 もう数作読んで、もっとディック・フランシスにのめり込みたいなあ、とそう思わせてくれる作品でした。

では!

 

『月光ゲーム Yの悲劇’88』有栖川有栖【感想】大学いっときゃよかった

f:id:tsurezurenarumama:20210816010423j:image

表紙のおじさん誰?(めっちゃ失礼してたらどうしよう)

 

1989年発表 江神二郎1 創元推理文庫発行

 

 国内ミステリの傑作を少しずつ読んでいく企画。島田荘司綾辻行人ときてお次は有栖川有栖に挑戦です。

 幸か不幸か、いくら国内ミステリの傑作とはいえ、あらすじやメイン探偵のキャラクターなんかも何も全然知らないんですよね。とはいえ本作はタイトルにエラリー・クイーンの名作『Yの悲劇』が入っていることからもたぶん王道のダイイングメッセージものなんでしょう。かの名作とは違った解釈で、ズバッと読み手を斬ってくれるはずです。

 

 まずはプロローグの火山噴火のシーンから勢いがあります。唐突にたくさんの登場人物が出てきてやや混乱しますが、既に事件が起きていること、火山噴火にまきこまれ進退窮まる危機的状況に置かれていることがわかります。

 第一章に「戻り」舞台は事件が起こるまで遡ります。英都大学推理小説研究会のメンバー4名が矢吹山へキャンプに行くことと、その場で他の大学のメンバー13名と出会い、一緒にキャンプを楽しむことなど舞台設定が少しずつ明らかとなります。

 

 推理小説研究会の面々を主導に行われる推理ゲームから、メンバーの一人の突然の脱落、第一の噴火と自然災害による特殊なクローズドサークル成立までテンポよく物語は進んでいきます。

 ここから解決編まで怒涛の勢いで、ありとあらゆる種類の手がかりらしきものをばら撒きながら事件が起こっていくわけですが、この物量と熱量がとにかくすごい。

 一つひとつのヒントが、絶対に犯人たった一人を指し示していると、わかるのはわかる(作者が自信満々でこっちを見ているのもわかる)んですが、何一つピンとこないのは私がとことんポンコツなせいでしょうか。

 

 本書では複数の種類のハプニングが起こるわけですが、事件ごとに違った趣向の手がかりが残されているのも楽しめるポイント。アリバイがない事件ではダイイングメッセージ、アリバイがある事件では暗示的な小道具、フィルムの入っていないカメラ、などなど多岐にわたります。もちろんこの全てに解決編で適切な解が与えられ、たった一つの真実へと導かれます。

 以上、論理的な解決という意味においては、ほぼ完ぺきと言っていいミステリでした。だから、再読すれば、もっと良さがわかるはず……。

 

 

 

ネタバレを飛ばす

以下、個人的にしっくりこなかったところです。

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

《謎探偵のグチグチ》

 

●犯人の動機について

 犯人の人物像を物語の中で掘り下げない中で、愛する人を奪われた復讐という動機は全く納得できない。もちろん読者は作者(神)の采配に納得などする必要などないが。

 で、犯人の動機になる失踪した彼女の生死が最終盤にならないとわからないのもご都合主義に感じてしまう。もちろん、彼女が失踪と同時に死亡、もしくは失踪せずに死亡してしまった場合、恋仲にあった犯人に焦点が当たってしまうし、彼女がいなくなることで、ダークホースとしての役割も与えることができる。ただ、論理的なミステリを目指すのであれば、一度退場した人物が犯人というのはありえない(また集団に紛れ込むのはあり)し、彼女に誘導する意味があまりないように思える。

 大文字と小文字を使い分ける超巧妙なダイイングメッセージだけで十分通用すると思うのだが。あと、名前の読み間違いの件も余計に感じる。

 

 

ルナのルナルナした記述はなんだったのか。

 

●余談

 本書の悲劇とは、犯人と彼女に降りかかったものではなく、狂人に殺された被害者たちに起こったこと。

 

 

 

      ネタバレ終わり

 

 以上は、本当に緻密に計算された、論理的な解決を中心に据えた本作だからこそあら探ししちゃう(悔し紛れ一本背負い)自分の後ろ暗い部分。

 もう一つ、これは自分が悪いんですけど、大学を出てないので、なんかキャイキャイしている大学の雰囲気というか、この学生ノリみたいなのが終始キツくてですね……。解説にもある「青春小説」の部分が、ものすごくしんどかったです。

 高校生くらいで読んでいたら、もしかしたら自分も大学に行ってミス研なんかに入ってたのかな。いや、絶対入っていただろうなと……。なんか、今、口の中が苦いです。

では。

 

 

『吠える犬』E.S.ガードナー【感想】今日もカッコいいぜ!おれは吠える

THE CASE OF THE HOWLING DOG

1938年発表 弁護士ペリー・メイスン4 小西宏訳 創元推理文庫発行

前作『幸運の脚(幸運な足の娘)

次作『奇妙な花嫁』

 

隣人の家の犬が吠えて迷惑だ、という依頼を受けたメイスンだったが、隣人の主張によると犬は吠えなかったのだという。依頼人のただならぬ様相に、調査を開始するメイスンだったが、その依頼人が行方知れずとなり……。

 

 もちろんただ犬が吠えるか吠えないかでメイスンが出張るわけではない。依頼人の質問は、自身の遺言書の作成に関することであり、財産の遺贈先は隣人の婦人、しかも人妻だったのだ。

 依頼人の抱える秘密というのが、勘所なのは案違いないのだが、メイスンの調査が進んだ矢先に依頼人がさる女性と駆け落ちしてしまい、さらには関係者の一人が殺されてしまうに至り、メイスンがやや宙ぶらりんになってしまうところに物語の面白さがある。

 

 メイスンは依頼人がいなくなっても捜査を続行する。それは、ただ単にやり始めた仕事というだけではない。事件の背後にきな臭い何かを感じ取っていたからだった。影に葬られた事実を探るため、デラや探偵ポール・ドレイクの力を借りながら情報を収集するのはいつも通りの流れ。

 主要な登場人物は僅か数名なのだが、全員の人間関係が縺れに縺れているので、それを解き解すのが中盤の動き。しかし、その混乱が解れてきたころにはすでにメイスンは事件の全容を掴んでいるような動きを取り始める。そしてここから法廷の魔術師による一世一代の大魔術の仕込みが始まってゆく。

 この仕込みのバリエーションの多さとクオリティの高さがとにかく素晴らしく、まったく中弛みさせずに物語が進む。姑息で厭らしい舌戦ではない、正面から正論を鈍器のように固めてぶん殴る硬派なスタイルに心をぐっと掴まれたまま、緊迫の法廷シーンへと進んでいく。(もちろん、騙すという点では卑怯な手にも見えるが、堂々としすぎていて逆にカッコいい)

 ここでメイスンは、頑なに即日の結審を要求し、焦っているかのようなそぶりも見せる。周囲はメイスンが何か大魔術を行おうとしていること、その気配を感じながらも、法律という金城鉄壁の檻を前に手出しができない。このメイスン無双の爽快さ、力を力で抑え込む快感がたまらない。

 

 そして法廷で暴かれる、凶悪な犯罪と隠された真実に驚愕した矢先、もう一つの大イリュージョンが眼前に現れる。メイスンの弁護士という立場の絶妙さ、「知らない」という力の強大さ、今までの事象全てが薄氷を履むが如し危ない状況の中で進行していたという恐ろしさ、そして、そんな極限の状況下でも不敵な笑みを浮かべて法廷に立つメイスンの威風堂々とした姿に胸を撃ち抜かれる。

 なぜこんな格好良いキャラクターが今の日本で広まっていないのか。今こそ、弁護士ペリー・メイスンを読むべきだ。

 

 ひとつ残念なのは、本書(創元推理文庫版)にはペリー・メイスンもののお約束でもある、次作の予告がばっさりカットされている点。『義眼殺人事件』を読んでいないので、「まったくの同文」がどういう意味かは理解できないが、重複を避けるメリット以上にメイスンものの雰囲気を保つためには、次作紹介は削ってほしくない。本書は他にも早川書房や新潮文庫でも出版されているようなので、そちらも確認したい。

では!

 ネタバレを飛ばす

 

 今回は推理過程はお休み。

 シンプルにメイスンのこそこそとした捜査にワクワクしすぎてしまって、推理どころじゃなかった。

 一応記憶の補完のため、真相だけ記録しておく。

以下超ネタバレ

 

 真犯人はなんと容疑者その人。つまり、メイスンは自身の依頼人が犯人であるにも関わらず、無罪判決を勝ち取ってしまったのだ。しかも意図的に。

 今まではてっきり、メイスンは自身の依頼人が無罪だと確信しなければ弁護を引き受けない弁護士だと思っていたが、今回は、その掟を破ってしまったらしい。ただ、メイスンは彼女の偽りの証言を追求しなかっただけ。

わかりました。一応、そういうことにしておきましょう。では、あなたは真実を話していると。頁176

が意味深長に聞こえる。

 あと、もちろん裁判の主旨はクリントン・フォリー殺害事件なのだが、号外(新聞記者のピート・ドーカス)という隠し玉を利用して、いつの間にかアーサ/ポーラ・カートライト殺害事件にそれとなく誘導しているのも巧妙。この点においては、メイスンのセルマ・ベントン追及は的を得ており、確かに正義の執行には一役買っている。